ノンデュアリティに至る仕組み

 

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ノンデュアリティにはプロセスがある

 

✴︎

 

地球上には幾数もの二元 (相対するもの) がある

善悪
真偽
美醜
正誤
優劣
などなどなど

他にも山ほど二元ってあるよね

 

私たちが生まれてきたときは個の一元だったとして、
成長していくごとに私たちには自我&エゴが芽生え、
そこから様々な二元 (デュアリティ) が派生していく

 

たくさんある二元の極の
その中心が
いわゆるゼロポイント

 

例えばこんなカンジ

正─・─誤
悪─・─善
好─・─嫌
〇─・─●
▲─・─△
□─・─■

 

自我&エゴがなければ
ポイント「・」の位置は
極の中央のゼロ (ニュートラル) にある

 

でも人間は生きていくうちにいろんな自我&エゴをまとっていくのでポイント「・」の位置が変動していく

それと共に観念や価値観が生まれる

それが私たち一人一人にある “偏り”で、
生活の様々なシーンに表れる

 

人によって自我&エゴは異なるし、
それは様々に複合され、
二元のポイントを決めている

組み合わせは無限大

 

自我&エゴを矢印 (←→) で表すと、

ある人は
正←←←←←・→→→→→→→→→誤
悪←←・→→→→→→→→→→→→善
好←←←←←←←←←・→→→→→嫌
〇←←←←←←・→→→→→→→→●
▲←←←←←←←←←←←・→→→△
□←←←←←・→→→→→→→→→■

 

またある人は
正←←←←←←・→→→→→→→→誤
悪←←←←←←←←・→→→→→→善
好←←←←・→→→→→→→→→→嫌
〇←←・→→→→→→→→→→→→●
▲←←←←←←←←←←・→→→→△
□←←←←←←←←・→→→→→→■

 

(※スマホの人は横画面にして見ていただくと見やすいです)

 

こんな風に一人一人の「・」の位置や組み合わせが違う

 

人生において体験する様々な出来事によって自我&エゴが露になったとき、
それを内観して一つ一つ昇華させていくごとに
この「・」の位置がゼロポイントに少しずつ向かって (戻って) いくの

 

それがすべて真ん中の場所に戻ると
正─・─誤
悪─・─善
好─・─嫌
〇─・─●
▲─・─△
□─・─■

これではまだたくさんのポイント「・」がたくさんの二元の中にあるけど、

自我&エゴが失せていくごとに
二元も意義を失っていき、
これらのポイントは統合され
「・」だけになる

 

それが
一元
中庸
悟りと呼ばれる状態

これが私の言うノンデュアリティ (非二元)

 

もともと一元だったのが
自我&エゴを溜め込みながら
デュアリティを経験し、
それから自我&エゴを手放しつつ
ノンデュアリティへリターンしていく

この道程ゆえ「非二元」と言われているのではないかな

 

このノンデュアリティに至るには 唯一、

内観 (内を観て自我&エゴを探して認め受け入れること) と、

昇華 (握りしめていた自我&エゴを腑で納得できてから手放すこと) 、

このプロセスを経ることでしか成し得ない

 

「唯一」ってもうはっきり言っとく

 

簡単にまとめたけど
ここまでがノンデュアリティに至る仕組み

(いつかもう少し書き足そうと思う)

 

人によって自我&エゴは異なるし、
「・」の位置もバラバラ

それが人間一人一人の価値観の違いとなって表れている

 

簡単な例で書くと、
「貧乏はイヤ」と思っている人がいるとして、
それはその人の価値観だよね

その価値観の中には
「貧富」や「好き嫌い」などの二元が入っているね

それらの二元の極のポイント「・」の位置を決めているのがその人の自我&エゴ

「貧富」の「・」では、
貧しいのは絶対にありえないっていう人と
そこまでお金に拘らないって人の「・」の位置は違うし、

お金に対する「善悪」の考え方によっても「・」の位置が異なる

さらに貧乏は醜いという気持ちを持っているなら「美醜」の二元も加わるね

 

これらの二元の組み合わせによって価値観も千差万別ってこと

 

自分の価値観を大事に握りしめていることで
自分で知らず知らずのうちに
自分を苦しめてしまっているのだということに
ほとんどの人は気がつかないでいる

 

ほとんどの人間は自分の価値観が真っ当なものだと信じて疑わない

その自分の価値観で、周りや他者に自分の価値観を押しつけ、同じ価値観であることを求めようとする

それが問題や悩み、苦の原因になっている

自分の価値観と同じように周りや他者の価値観を認め、うまく折り合いつけてやっていけるうちは人生がスムーズに行っていると思える

でも
自分の価値観が周りと馴染まなくなってきたり、
自分が頑なに握りしめている今の価値観でいるのが息苦しくなってきたりして、
価値観を見つめ直すことを迫られる人たちがいる

それが4次元にまで進んできた人たちなんじゃないかな

このままではこれ以上はもう進めないという限界に行き着く、

というかその価値観のままでは行き詰まってくるんだよね

そういう人たちが現状を打破すべく
価値観を手放すワークなどをやり始めているんだろうね

(「あるがままでいい」なんて言ってるうちは覚醒はムリ)

 

みんなの「・」がゼロポイントになったときが
『 弥勒の世 (あらゆる差別やあらゆる権力などのない世の中) 』
なんだと私は思う

そしてこれが本当の『ワンネス』なのだと思うよ

 

だから私は
差別や権力や貧困のあるこの世界のことを
「ワンネス♡」とか簡単に言わない

 

今は多くのスピオタクさんたちがワンネス (すべてはひとつ) の思想を理解しているし、
それは他者を思いやったり差別的な視点がなくなるなどのスピ的なレベルの飛躍にはつながる

 

だけどね、
ワンネス思想を大事にしすぎるのも
実は4次元の足止めになる

なのでスピのワンネスに固執しすぎない方がいい

(理由はいつか書くつもり)

 

でも、

みんなが同じ位置に「・」があると個性がなくなっちゃうのでは…?

っていう疑問がわくかな

そんな心配しなくても大丈夫

人生プログラムは一人一人によって違うから、
悟りに至ってもプログラムに則って自分に純粋にわく衝動によって動いていくし、
個性がなくなるなんてことはない

 

また、
悟ると感情がなくなってロボットみたいになるんじゃないかと懸念するスピオタクさんもいるけど、

『空恐ろしいお試し』を通過してしまえば
無感情のロボットや廃人みたいになることもない

悟りに至った後も
映画やテレビを見て普通に感動もするし、
酷いニュースに憤ることもある

でもそこに自分の自我&エゴはもうないから、
内観する必要はもうないし、
わいてきた感情が気にかかることもなく、
その感情は数秒もしないうちに失せる

もし残酷なニュースとか見て
感情のポイントが一時的にゼロポイントから
善←━━━━━━━━━━・→悪
ってなったとしても、
(まぁほとんどそういうことはないけど)

自我&エゴがなく引っかかるもの (←→) がないから
瞬時に
ニュートラルなゼロポイント
「・」
にヒュッ!って戻る!んだよね

 

これが
真の『今ここ』
なのよ

(過去にも現在にも未来にも、何の蟠りも引っかかりもない状態のこと)

 

そして
ゼロポイントにしっかりと在るのが
本当の『自分軸』
なんだよね

 

スピオタクさんたちって、
「今ここに在る」とか
「自分軸」とか
よく言うけど、

それは自我が頭の中で
「私は今ここに在る~」
「自分軸~~」
って自己暗示かけているだけに過ぎないのよ

私から見たら
「そうやって4次元スピで遊んでるのね」
ってカンジ

 

もちろんやりたいようにやればいい

好きなだけ遊べばいいのよ

 

でも自我が頭の中でやっているだけの
「今ここ」や「自分軸」は、

どれだけなりきろうとしても、

残念だけど、
4次元スピの “幻想” “モドキ”
でしかないんだよ