流れる雲をどうするか

 

様々な手法や効能があり、世界中でリラクゼーションとしても普及している瞑想

特にスピリチュアル好きな人たちにとっては切っても切れないほど定番だよね

 

悟り系オタクさんたちにとっての瞑想は、

ノーマインド(無心・無思考)の状態を増やし、

”無”や”空“になること

 

それをどうやら“真我”と思っているらしいことがうかがえる

 

瞑想を実践してる人のブログで、

思考(自我)を「流れる雲」に例えて書かれているのをよく見かける

 

彼らはこう言う

「青空 (真我) に流れる雲 (自我) は眺めて流す」

「雲 (思考) を流れるまま、あるがままにさせておく」

 

雲が流れてきたら、(自我・雑念が浮かんできたら)

無視する
サーッと流す
思考を脇に置く
見ないフリする
浮かんでこないように抑え込む
思考を止める
感情をただ観る

各々が思い思いにこういったことをやっているようだね

 

瞑想についてリサーチしてて分かったのだけど、

私がやってきた内観とは明らかに違うな~と思う

 

私がやってきたのは、

「自分の目にとまった雲 (自我&エゴ) は、流さないで、しっかり掴む!!!」

 

流れてきた雲が、

なぜそこに現れたのか?

その雲は何によって組成されているのか?

それを深くまで探る

 

そして、なんらかの結論を出す

 

さらに、そこで雲を流してしまわないで、

青空(真我)に雲(自我)を吸収(昇華)させ、

一つにしてやる(統合)

 

思考こそが自我やエゴの現れなのだから、

それが目の前に現れ出たら、

サッとつかんで内観の材料にしてきた

 

わいてきた思考を深くまで探っていく、

根本に遡っていき、

その思考の原因を突き止める

 

それが私がやってきた内観で、

さらに昇華させることで1セットなんだよね

 

思考にとらわれず雲のように流す、だけでなく、

ただジッと自己観察するだけ
ただ観照するだけ

ってゆうのも、私は足りない気がするんだよね

 

瞑想が無意味だと言いたいんじゃないよ

瞑想がやりたい人はやればいい

瞑想が何かの役に立つからこそ、世界中で長い間支持されてきたのだろうから

 

私がここで瞑想を持ち出したのは、

スピオタクさんたちが瞑想をやって、

『無思考』になることだけで満足している人が多いような気がするから

 

私は、

なぜ私たちに思考や感情がわくのかってゆうと、

昇華させてもらいたいからこそ、

目につくように現れるんだと思うんだよね

 

なのに、

「流してしまお~~」
「この想いは見ないことにしよう~」
「浮かばないようにしよう~」
「無視しよう~」

って熱心に何年やっていっても、

昇華してもらえなかった思考は、

潜在・深層意識の奥深くに閉じ込められて、

延々と隠され続けていくことになるんじゃないかな

って私は思っているから