悟った人とは

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「悟りに至る経緯」って、

一瞥まで?

それともノンデュアリティまで?

どの時点で悟りに到達したと思えるのでしょう?

私が一瞥体験したとき、
それまで悟りには全く興味がなく
悟りに関する知識がほぼなかったので、
覚者と呼ばれる人たちの体験をいろいろ調べてみました。

それらと照らし合わせてみて、

「私も悟りに到達したんだぁぁぁ~~~」

って感激した。

覚者たちの語る境地と同じような体験をしたのだと分かったから。

ちなみに私が体験した一瞥体験とは、

私=みんな=神
1でもあり0(無) でもある
宇宙に漂っているような感覚
圧倒的な無限の境地
私が創造主だったんだぁぁぁぁぁ~~~~!!!!!
(いわゆるワンネス)

スゴい感動~~~~~~~~!!!
な体験だったのですけど、
簡単に言うとこんなカンジ。

でも後にその体験を徹底的に内観してみて、

「あれは私が今まで不思議体験してきたのと同類の
幻想マヤカシ体験の1つに過ぎない、

あれはなんかすごい4次元スピの幻想体験をしただけに過ぎない」

って知覚したのですよね。

幾多の不思議体験をしてきた私でも
確かにあれは超絶にすんごい体験で、
私は驚嘆と驚愕で胸が張り裂けそうになり号泣しました。

だけどそれこそが
自我が4次元で見せる幻想マヤカシなのです。

それこそが4次元に足止めさせようとする眩惑、トラップなのです。

私は今ではあの一瞥ワンネス体験はもうどーでもいいものになりました。

私は今では、

自分がいて みんながいる
集合意識がどうのとかどうでもいい
私が神かどうかなんてどうでもいい
創造主?どうでもいい
宇宙なんて私が作った幻想~~~

って思うようになりました。

さて今回

「悟りに至る経緯」というものをリサーチしてみたのですが。

どうもほとんどが
「一瞥体験をするまで」
であるように見受けられるのです。

その一瞥体験後、

世界がすごくいとおしいものに思えるようになったとか、
人に無性に親切にしたくなるようになったとか、
視界がトーンアップしたように明るくなったとか、
覚者的に寛容な人物になったような気になるとか、

そういう心境などの変化が起こるようなのですけど、

でも自分の生活は相変わらずで、
自我や煩悩も相変わらず自分の中にあるまま。

なのでそこから『悟後の修行』というものが必要かもと思うようになる。

私は悟りの定説や概念にはほぼ興味がありませんし、
詳しくはないのですけど、

一瞥体験をしただけでは悟ったとは言えないだろ~~~

というのはハッキリしています。

なぜならその時点では自我もエゴもたっぷりあるから。

自我&エゴ (煩悩) があるのに
はたして悟ったと宣言していいものなのか?

だからスピオタクさんたちは
自我&エゴを浮かばせないように

瞑想して思考をストップさせるとか、
無我の状態でいることを訓練し始める

んですよね??

そんなことをやっても自我&エゴは誤魔化せないんだって、

もうそろそろ気づいてもいいんじゃないですか?

そんな表面だけ取り繕うようなことやって、
自己満足して、
「すべての者は最初から悟っている」と言ったり、
悟りやノンデュアリティの境地を演出しようとしたりして、

虚しくならないのですか??

それとももう思考をストップするクセが身について、
自分を偽っている虚しさも感じなくなってしまったのですか?

自我&エゴは思考をいくら上手にストップさせても、
しっかりそこにあるんですよ?

誤魔化すことなんてできないんですよ?

自分にウソをつくことに慣れるなんて、
悲しくないですか?

とあるブログで

「悟れば溺れても苦しくないんですよね~?」

という、
何となく悟りとかスピとかをナナメに見ているようなブロガーさんのこんな文章を見つけました。

これ、悟りを表すのに使えるなって思ったんですよね。

「悟った人は溺れても苦しくない」

じゃないんですよ。

悟った人には “溺れる” という体験はもう必要ない

だから溺れるようなことはもう起こらない

溺れるような状況にはならないんですよ。

溺れるだけでなく、
すべてにおいて、
「苦」「問題」「困る」
などと思われるような状況に陥ることがなくなるのですよ。

「その人にとって起こるべきことが起こる」

私はこれは真理と思っています。

なぜなら
その人にとって必要なこと (★) が起こり
それを体験することで
その人にいろんな思考や感情がわく

それがその人の中にある
自我&エゴをあぶり出すことになるからです。

あぶり出すことによって
自我&エゴの昇華が可能になるからです。

(★) の「その人にとって必要なことが起こる」というのは、

その人が覚醒していくために必要なことが
その人に起こる

っていうことです。

思考や感情がわかないようにストップするようなスピメソッド ( 瞑想やノンデュアリティ思想 ) をやり続けている
ということは、
あぶり出し昇華させなくてはならない自我&エゴは出てこれなくなる。

「思考や感情がわかないようにするというメソッドを行っている」

のは

誰って、アナタの自我 なんですよね。

そのメソッドを
アナタにやらせている
アナタの自我が
アナタの覚醒を邪魔している

っていうことなのですよ。

自我のカラクリ、
この説明で分かりますか?

あぶり出すべき自我&エゴがもうない人

私はそれが悟った人なのだと思います。


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