【有料記事】観照者

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悟り系スピに
「真我は観照者・観照意識」
という説があります。

これは
「観照する者は真我」
「観照される者は自我」
という解釈でもあるようです。

いつから、誰が、
「真我は観照者 (観照意識) 」を広めたのか私は知らないのですけど、

この説について私にできる範囲でスピ界悟り系の認識をリサーチしてみました。

まず、
ほぼすべての悟り系さんは
ごく当たり前にこの説を受け入れ、信じているようですね。

で、私が気になったのが、

自分のブログなどで
真我や観照者について語っている人のほとんどが
断言、断定した書き方をしているってことです。

「真我について今の自分はこう思う」
というような仮説や推考の書き方ではなく、

「真我とはこういうもの」
「真我は観照者、観照意識」
という風に断言、断定して書かれているのですよね。

私はスピ界の人たちが書いているものを読むときに、いつも思うことがあります。

なんで断定、断言できるのか?

なんで疑わないのか?

真我について語っている人にしてもそう。

真我のことを知っているのか?

解っているのか?

いやいや、
真我について書いているスピオタクさんたち、
まだ真我覚醒できていないですよね。

真我がまだ覚醒してもいないのに
なぜ真我が何たるかを語れるのかな。

自分に真我はまだ顕れてもいないのに、
「真我は観照者」などと
どうして断定して言えるのかな。

真我について語っている人は
「真我は観照者」だということを
どうやって確認したのかな。

自分が真我覚醒しなければ、
自分に真我が発現しなければ、
そんなことは分かり得ないことなんじゃないのかな。

それなのになぜ断言して書けるのかな?

自分は真我について語れるほどに解っていると、
胸を張って言えるのかな?

例えば、
会ったことも話したこともない人のことについて、
知っているかのように解っているかのように
語ることってできないですよね。

もしそれをしようとするなら、
それは想像とか憶測とかだし、
捏造することにもなりかねないですよね。

はっきり言うけど。

真我について語っている人は、
真我覚醒もできていなくて、
真我についてまだよく解ってもいない状態なのにも関わらず、
断定的な言い方で語っている人ばかり

なのですよね。

だって、
「真我は観照者」というその概念 (スピ情報) が
最初から当たり前のものとしてあって、

それを疑いもせず鵜呑みにし、

その概念を元にして自説を展開しているのですもん。

例えば、

あるスピオタクさんは真我についてたいそう詳しげに語っていて、
「魂・真我をいつもヒーリングしている」
そうなのだけど

この人、「魂・真我」と「自我」を混同しているのですよね。

自我と真我の区別もできていないのに
真我について詳しそうに語るって………。

こういう、

真我のことをまだ知っても解ってもいないのに自分の “自我レベルの (洗脳された) 知識” でもって想像 (妄想) をさも本当のことのように語る、

いかにも自分はぜんぶ知り尽くしている感満々な人っていうのは、

自分がまだ浅いレベル (視野) でしかないという
己の冷静な省察がない、
そして驕りがある、
なので実は覚醒が滞ってしまっている

ということに自分で気づくこともできないんですよね。

断言して語る人というのは
そりゃ何らかの確信があってのことなのでしょうけど、

だからそこに
未覚醒の人の
自分がスピ的にけっこういいレベルであると自惚れてしまっていて、己を省みていない

っていうのが露呈しているのですよ。

それは
自分と同じか下のレベルの人には見抜けなくても、
先を行く人からは丸見えなのですよね。

フワスピ界隈でも、

「イヤなことをやっているときは自我」
「好きなこと、やりたいことをやっているときは真我」

みたいな思想らしいですが、

そんな風に自分の自由に解釈するのは
フワスピならしょうがない……。

とはいえ、
その説を断定的に語る者と、
それを鵜呑みに信じてしまう者とがいて、

それはそのまま世間に広まり固定されていく

何が本当で何がデタラメなことなのか、
しっちゃかめっちゃかになっていく。

こういうことを各々の自我がやっているので
世の中がマヤカシの情報だらけになってしまうのですよ。

なにせ4次元スピ世界は増上慢だらけですからね。

皆さんのいるステージ、
4次元スピ世界のものは、
ぜんぶがマヤカシの幻想なのですよ。

だから、
5次元覚醒(悟り)するまでは、
たとえ実際に自分の身に起こったことでも
鵜呑みにしちゃあかんのですよ。

皆さんはまだ幻想から抜け出せていないのですから。

自我にまだ翻弄されているレベルなのですからね。

スピリチュアルに関しては
すべてを疑った方がいいくらいなのです。

スピリチュアルってマヤカシなのですよ。

スピの人たちが当たり前に「当然ある」という前提のスピ概念たち、

本当はそんなものは「ない (無いが有る) 」のよ。

「ある」と思っているから「スピオタクさん」なのですよ。

でもね、
私はスピ住人さんたちに
「スピリチュアルを信じるな!」と言っているのではなくて、

信じてきたものを疑ってみよう
自分なりに検証してみよう

と言っているのです。

最初から頭ごなしに「スピなんかにハマるな!」と勧めるのは頭ガチガチのアンチや偏見のある人がやること。

否定拒否拒絶し受け入れもせず、
また、
観念や概念を頑なに握りしめて手放しもせず、

それでは覚醒していけません。

受け入れと手放し
この “二元のプロセス” が覚醒には必要なのですからね。

このサイトに出会った人たちは
今自分がいるステージがマヤカシの世界なのだということだけは覚えていてください。

そこ分かってないと
4次元の魔境に足止めされることになりますのでね。

前振りが長くなりましたが、
ここから本題「観照者」について私の意見を書いていきますね。

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