悟ったのは「誰」?

 

「悟ったと認識したのは誰なのか?」
「それを体験したのは誰なのか?」

という悟り界隈の問いがある

 

リサーチしてみると様々な答えが見られた

 

「すべては幻に他ならない、なので “悟る自分” も存在しない」

と書いているブログもあるし、

 

ノンデュアリストさんたちは

「そもそも自己などない」
「体験者はいなくて体験だけがある」
「ストーリーがあるだけ」

と言っている

 

「悟りに至るとき自己はいる」と
「悟りに至るとき自己はいない」とに
意見が二分してもいるし、

 

他にも、

「悟りに至るという行為そのものが成り立たない」
「覚醒するとこの世にはもう存在できない、ゆえに語っているのは偽者」
「悟った私がいたとしたらそれは本物の悟りじゃない」

などなど多彩な意見が見られた

 

また、「不立文字」や「一字不説」などと伝えられているからなのかどうかは知らないけど、覚者さんたちは

「“それ” は言葉では表現できない、言葉を超えた領域のはなしだから」
「なので “これ” とか “それ” とかで表現するしかない」
「悟ると “それそのもの” になる」
「至った私は何者でもなく単なる “それ” です」

などと「これ」とか「それ」とか「それそのもの」というワードを使い、悟りやノンデュアリティの境地を説明している

 

ではでは
悟ったのは「誰」なのか、
もうここらへんでその答えをはっきりと書いておくね

 

✴︎

 

私は前に真我が顕れ出てくる経緯、
『真我覚醒の道程』を書いたね

⇨真理

 

それに
『ノンデュアリティに至る仕組み』も書いたよね

⇨ノンデュアリティに至る仕組み

 

私は言葉を使って説明したよね

 

あれ、どうして書けたのか分かるかな?

 

ぜんぶ “私” が体験したことだからだよ

 

自我から真我が発現し覚醒していく間、
“私” はずーっといた

 

自我のときから真我が顕現していく過程で、
“自我であり真我でもある私” が、
起こったこと
覚醒の経過を
ぜんぶ通して
漏らさず克明に記憶していたから書けたのよ

 

私がこのブログに書いていることは、
単なる考察でも
自我の頭で勝手に妄想構築して作り上げた机上の空論でもなく
宇宙からの啓示?で教わったものでもない

 

真我覚醒の進んでいった “私” が
実際に体験してきたことだから書けたのよ

 

なので、
真に真我覚醒してきた者は
「私はいない」
なんて言ったりしない

てか、そんなこと言うわけない

 

だって、
真我覚醒の道程を経ていく “私” は確実にいて、
悟りに到達しても「私はいない」になんてならないもん

 

消えていくのは幻想の “自我”
顕れてくるのは実体の “真我”

その間ずーっと
自我であり真我である “私 (の意識)” は居続ける

“私 (の意識)” は最初から最後までいるんだよね

“私 (の意識)”は消えたりなんてせず
そのままそこにいる

その状態で5次元覚醒(悟り)するので、
そのまま “私” はいるままなのよ

 

なので、
すべての記憶はあるまま “私” は悟りに到達する

なので、
“私” は真我覚醒の道程を言語化できるのよ

 

それで、自分の語彙の範囲で (拙いけど)
言葉を使ってアナタがたにこうやって説明している

 

私には文才らしい文才などないし
ボキャブラリーも乏しいけど、
スピオタクさんだけでなくどのような人にも理解しやすいように
言葉にも最大限に気を遣い、
できる限り平易にこと細かく書くようにしている

これは左脳と右脳の両方がバランスよく満遍なく活性化できていないと不可能なこと

片方だけ活性化させてもここまで来れない

それは3次元的な知性とか知能とかは関係ないレベルの話

 

「私が消えた」とか
「私はいない」とか
真我覚醒した人は言わない

「それ」とか
「それそのもの」とか
「それとしか表現できない」とか
真我覚醒した人は言わない

 

だってそういう言葉で誤魔化したりする必要なんてないもん

 

私には
「私はいない」とか
「これを書いてる私はいない」とか
「それ」とか「これ」とか、
そういうのは全くイミフなわけ

「何言ってるの?」って思う

私からしたらスピ概念にカブれすぎだとしか思えないんだよね

「これを書いている私はいない」とか
「これを言っている私はいない」とか 、
なら「アナタは誰よ?」ということになる

それをやってる “人間の” アナタは何なのよ?

 

私から見たらそんなこと言ってる人は
明らかに真のノンデュアリティ覚者じゃないわけ

そういうの、4次元スピリチュアルのマヤカシにタブらかされてるとしか言えないわけよ

 

何が起こっても
「私はいない」って
それでぜんぶ通しちゃうわけなのねって

 

厳しい言い方をするけど、
至った境地を「それ」などと表現してる自称覚者さんたちは、
悟りの境地はそういうものだと、
その表現が妥当なのだと、
自我にマヤかされて、
定説、定義 ( 既成概念 ) に振り回されてるんだろう

従来の悟りの認識概念が頭の中に情報として潜在的にあるため、
悟り知識の寄せ集めを自己流に自我がアレンジして語っているだけのように私には見える

 

はっきり言ってこういう人たちは至れていないし、

至ったと思っているならマヤカシの悟りにマヤかされているだけ

 

つまり魔境にハマってるってこと

(書いているものをいくつか読めばそれは簡単に分かる)

 

至っていない人が己の自我にマヤかされているので
自分は実はまだ至っていないんだってことに気がつけず、
マヤカシの悟り情報を世間に撒き散らし
幻想を広めているってこと

 

スピオタクさんの中には
「真我も幻想」
と言う人もいるよね

 

だからね、

内観することによって
“自我” という幻想から醒めてくると、
“真我” というその人の “我 (われ)” の
幻想ではない “実体” が顕れてきて、

それでプラマイゼロみたいになるのが主客統合なのよ (自我と真我の統合)

 

それが地球上においての悟り (ノンデュアリティ) というものなのですよ

 

幻想にマヤかされているうちは、
悟りに至ったと勘違いさせられているうちは、
まだ4次元レベル (スピリチュアル) でしかない
ということ

 

「悟ったのは “私” ではなく大いなるもの(全体) 」
という記述も見かけたりするけど、

これはグラウンディングできていないスピオタクさんの言うことね

 

「大いなるもの (全体) 」というのは「意識」であり、

その意識の顕れとして
肉体をもって地球に生きているのは
あくまでも人間の “我 (われ)” なんだよ

 

悟るのもあくまで人間である “我 (われ)” なのよ

 

「大いなるもの (全体) 」
なとど語ることは、
地球で生きている人間がどこかに追いやられてしまっている

 

地球は人間の生きる場であるのに、
「全体」なんて知った風に持ち出されても、
そんなもん何の役にも立たんのよ

 

「全体」とやらが分かるレベルであるのなら、
夢みたいなこと語るのはいいかげんやめて、
もっと地に足ついた
人間の役に立つことを語ってほしいものだよ

 

 

✴︎

 

スピオタクさんの中には
「自分が消えた」
「私がいなくなった」
という「シフト」に似た体験をしている人がけっこういるよね

 

でもそれも
4次元スピリチュアルのマヤカシの体験だからね

 

前にも書いたけど、
4次元のスピリチュアル世界では
何だってどんなことだって
実際に現実に起こすことができるんだよ

 

この地球にはたくさんのマヤカシ体験やマヤカシ現象がある

それがスピリチュアルなのよ

 

だからそのスピマヤカシを見抜いて通過していかなきゃ
いつまでも幻想にのまれてるってことなのよ

 

3次元からスピリチュアル世界にまで来れた人たちは、
それをマヤカシだと見抜いていかなきゃならないのよ

 

別にマヤカシの体験をするのが悪いのではなくて、

その人に必要だから体験してるのだから
楽しむのは構わないんだけど、

そういうスピマヤカシの体験に囚われすぎるな
固執していつまでも後生大事に持っておくな
と私は言いたい

 

半可通なスピオタクさんたちは
「すべては幻想」だとか言ってるわりに
本当には「幻想 (自我) 」を分かっていない

 

幻想幻想と言いながら
何の対処もせず
そのままに甘んじている

 

だからマヤカシが見抜けず、
「私が消えた」などという4次元スピのマヤカシ現象で
自分はノンデュアリティに達したと
自我に思い込まされてしまうんだよ

 

真我が覚醒していくからこそ
幻想 (自我) が本当に見抜けるようになるのよ

 

だから私は内観しようねと言っているの