ミクロとマクロ

「原因と結果」

これは 因果 とか 縁起 とか呼ばれている “ 法則 ” です。

でも過去に何度か書いてきたのですが、
「法則」なんてものは 本当はないのです。

スピリチュアルをやっている人なら ミクロやマクロ という言葉を聞いたことがあると思います。

スピ界では 宇宙とか細胞とか 様々な説明がされているようですが、

ここで書こうと思っている「ミクロとマクロ」は、

ミクロ = 小さな視点、それは私たち人間の視点、
マクロ = 大きな視点、それは 神 ( 悟り ) の視点
のことです。

私たちの視点では、
5次元覚醒 (悟り) するまでは、
原因と結果の因果の法則 や 縁起 で物事を捉えていく、
その最終地には 悟り という到達点が用意されています。

そして 5次元覚醒 (悟り) すると
大きな神の視点へと移行します。

ミクロの狭い視点 から マクロの広い視点へ と。

覚醒していき 悟りに至ると、
神の視点に移行すると、
因果の法則 や 縁起 というものの見方はしなくなります。

しなくなる というより できなくなります。

因果や縁起なんてなかったんだと、
それらは幻想だったんだと、
腑で知覚するからです。

すべてはプログラムされていたこと だったのだと。

それが 5次元覚醒 (悟り) した人の マクロの視点 といえます。

私たちは人間の生活をしている中では 原因と結果に囚われて生きていきます。

でも5次元覚醒 (悟り) すると それらの囚われは頭の中から消えます。

あらゆる縛り、囚われから解放されるんです。

それが 悟り なんです。

例えば、病気や事故といった体験が私たちの人生には起こります。

それらは “ 因果 ” や “ 縁起 ” だけで片付けられないこともあります。

例えば、
生まれてすぐ子供が重篤な病気にかかった とか、
幼い子供が親に虐待されて亡くなった とか、
そういったケースで、

それらの不幸はそんな年端もいかない子供自身が引き寄せた とは考えにくいですよね。

実はそれらは 彼らのプログラムだった ということなんです。

だけど「その不幸はその子のプログラムだったんだから」と言って 親は責任回避はできません。

人として親として 何かしらの対処法を探したり、罪を犯したなら償わなくちゃならないですよね。

まだ覚醒していない人たちが「マクロの視点」を使うことはできないのです。

3次元のレベルにいる人なら3次元レベルの問題と向き合わなくてはならない ってことです。

子供が病気になったのはプログラムだったから
子供は親から虐待されるのがプログラムだったから
起るべきことが起こっただけ
それが起こったのは全体の表れ

それらのセリフはまだ悟りには至れていないレベルの人には使えないし、通用なんてしないんです。

まだ3次元レベルの人は 何もかもを 自分 (自我) の都合のいいように利用しようとします。

(「ノンデュアリティ」や「宇宙の法則」などを)

真に覚醒を進めていっている人なら、
「起こるべきことが起こっただけ」とか
「全体性の表れ」とか
「私はいない」だなんて言わず、
自分を真摯に省みます。

そして昇華できるとカルマも持ち越すことはなくなります。

真に4次元のレベルにまで来ている人たちは そうやって覚醒を進めていきます。

カルマと向き合える精神レベルにまで来ていない人たちは
「カルマなんてない」
と言いたがります。

ノンデュアリティ系の人たちも「カルマなんてない」と思っているのでしょうが、

それ、スピのノンデュアリティ思想に逃げてしまってるだけですから。

自分の内と向き合うことを避ける言い訳にノンデュアリティを持ち出してきているだけなんですよね。

ノンデュアリティ系の人たちだけじゃなく
スピリチュアル界にいる人たちは、
スピのエッセンスだけを頭に取り入れて
すべてを知り尽くしたかのように振る舞いますが、

本当は
5次元覚醒 (悟り) にまで来ないと 真理 を解ったとは言えないのです。

例えばまだ小学生や中学生の人が大学の教科書を読んでみてそれを丸ごと頭に入れたとしても 大学生になった とは言えないですよね。

今のスピリチュアル界は どこかから聞きかじったスピ知識を頭に入れただけの そんな小学生や中学生みたいな人たちがホント多いのです。

私はそれをスピの人たちにご自分で自覚してほしくて
アメブロにはけっこう厳しめに書いてるんですが、
自覚するどころか 何か他人事みたいにしか見れていない人が多いんですよね。

ちょっと話が広がりすぎてしまいました。

私が言いたいのは、

人として生きているうちは「人間の視点」を大事にしなくてはいけない

ということです。

まだそれも通過できていないのに、
5次元覚醒 (悟り) できてもいないのに、
まだ「マクロの視点」に至れてもいないのに、

因果を無視する
神の視点でいようとする

それはあってはならない んですよね。

それは 傲り だからです。

ただの 思い上がり だからです。

自分の内をとことんまで観てもいないのに 神の視点を持ち出す、

それは 人の傲慢以外のなにものでもない です。

「善悪はない」だとかスピの人たちは分かったかのように言いますが、

まだ二元性を越えてもいないのに、
一元でいようとしたって、

周りにスピスキル高そうに見せたり、
ハイスペックそうに振る舞おうとしたりしても、

そんなのは等身大の自分じゃない
等身大の自分を解ってない
自分に無理をさせてしまってるだけなんですよ。

例えば 体の病気や不調の原因探しは一筋縄ではいかない、
「原因なんてない」場合もあります。

それも とことんまで観てみないと解らないこと なんです。

まだ覚醒していないうちから

「起こることが起こっているだけだから」とか
「すべて幻想」とか、

そんなフレーズを使うのは、

ただ自分自身から目を反らせたい自我エゴの言い逃れを振りかざしているだけなんですよね。

私たちは5次元覚醒 (悟り) するまでは、
「マクロの大きな視点」を持てるようになるまでは、

因果の
原因と結果の
二元性の
世界の中で生きていく。

それが最も自分自身を大切にすることになるのです。

それだけが ミクロからマクロへと 進んでいける道 なのです。

長々書いてきましたが 一言でまとめると、

先に進んでいきたいなら、
覚醒していきたいなら、
原因と結果 ( 因果 ) は 絶対に 蔑ろにはできない

ということです。

スピ界の有名なティーチャーが
「自分と向き合うなんてしなくてもいい」と言っていたとしても、
その言葉に違和感を覚えられる人は幸いです。

スピティーチャーたちの言葉を丸鵜呑みにしているうちは
覚醒へと進んでいくことなんてできないのです。