智慧と煩悩

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私は仏教のことは詳しくは知りませんし、
仏教の教えを信じる気もないですし、
仏教の教えを知らなくても5次元覚醒 (悟り) することはできると私は自分の身をもって分かっています。

でも今日は仏教用語を少し使って説明してみようと思います。

ただ、仏教の教えと合致してるかどうかは私には分からないです。

私の解釈で書いているだけだ
ということは最初に断っておきます。

仏教では悟りを『彼岸へ渡る』と表現しているようです。

それから
『煩悩』
『智慧』
という言葉がありますけれど。

これって

煩悩 = 自我&エゴ
智慧 = 真我

に置き換えられると思います。

真我が発現する仕組みは以前の記事に書きました。

こちら ⇨『真理』

内観して自我&エゴを昇華させていくごとに
真我が覚醒していきます。

これは
『煩悩を滅していくごとに智慧が増していく』
に置き換えられます。

仏教では智慧を獲得するための修行
(八正道とか六波羅蜜とか)
があるらしいですけど、

仏教のそういう細々した (面倒くさい) 知識を取り入れたりしなくても、

日常生活の中で起こる
いろんな出来事や事象やなんかに
アナタの覚醒に必要なものは
すでにぜんぶ組み込まれているのですよね。

なので
普通に生活しながら自分にわく思考や感情についてこまめに内観していますと、

四諦とか
十二因縁とか
五欲とか
八正道や
六波羅蜜
などの中身について
自然に考え
自ずと観ることになるのですよ。

なので
仏教の教えに固執したり
必死に勤しんだりしなくてもいいんじゃね?

と私は思っております。

「智慧を蓄積する」
と表現している人がいたのですけど、

智慧というのは
修行を積んで
蓄積 (溜めるとか蓄えるとか) していくようなものじゃないんですよね。

自我&エゴを滅していくごとに
同じ量だけの智慧が
顕れてくるのですよ。

覚者の真似事をやっているスピの人は
仏教とか悟りの知識は頭にたっぷりあるわりに
自我と真我の仕組みも解ってない人が多いのですよね。

それにたいてい頭が固くて観念まみれ。

自分が知ってる悟り知識がすべてだと思い込んでいる。

スピリチュアル業界で
覚者活動をしている人たちのほとんどは
実は彼岸へ渡りきれていませんよね。

ほとんどが彼岸へ渡るのをやり損っています。

これは

智慧が満ちていないから渡れていない

ということに他なりません。

どれだけ修行してきたとしても、
どれだけ川を渡りたくても、
智慧が満ちていない者は彼岸へ渡ることはできないです。

智慧が満ちていないというのは
まだ煩悩 (自我&エゴ) が残っているということです。

真我が覚醒しきっていないということです。

煩悩 (自我&エゴ) が残っているのに
真我が覚醒しきっていないのに
彼岸へ渡ることはできないです。

特に深層意識の
自分でも自覚が全くない自我&エゴを昇華させずに残したまま
川を渡れると思います?

川を渡りきれなかった覚者たちは
意識の部屋のガラクタ (自我&エゴ) を
ぜんぶクリアにさせていないから
渡れなかったのだと言えます。

悟りの知識ばかり頭に詰め込んで、
それで悟りが解ったと勘違いし、
中途半端な自説を説いている覚者たちが多いと
つくづく思います。

自分では自己観照してるつもりなのでしょうけど、
実際は自分の自我&エゴを
ちゃんと観れていないスピの人も多いです。

悟りの知識内で、
自我の頭で、
どれだけ自分で修行してきたと思ってても、
自己観察や自己観照や瞑想をやってると思ってても、
自我&エゴを昇華させていないなら、
その自覚さえ持てていないなら、
まだ煩悩 (自我&エゴ) があるってことですよ。

智慧が満ちていないってことなのですよ。

そんなんで川を渡れると思います?

悟りに至れると思うのかな?

真我が覚醒すると
はっきり自分でそれが解ります。

自分で自覚できるのですよ。

それは智慧が満ちているという証。

気をつけなくてはならないのは、

4次元スピ世界では
自我にいとも簡単にマヤかされやすいから、

自我&エゴ満々の自惚れ屋さんは

「私、真我が覚醒してきたみたい~♡」

って思い込まされやすい点。

また、
覚者の真似事をやっているスピブロガーさんを
盲信している読者 (信者) さんもホント多いのですよね。

だから、

慢心していないか自分を常に冷静に観ていなくてはならないし、

スピブロガーさんたちが書いてることを盲信しないように検証精査していかなくてはならないのですよ。

これは覚醒を目指したいなら必須ですよ。

川を渡るタイミングは
真我に委ねるしかありません。

( ※ 自我では決してないですよ )

悟り系の皆さんが
いくら川を渡ろうと思っても、

真我の協力がないなら
それは頭の中で自我がやっているだけ。

で 結局、
渡りきれないで戻ってくる。

渡りきれずに戻ってきた覚者たちは
その自分の中途半端な幻想体験を
信者たちに拡散する。

だから信者たちは
悟りのマヤカシ情報に
惑わされてしまうことになるんですよね。

そして、

川を渡るのは
一度にではなく
少しずつ渡ります。

( ※ 「激流」に飛び込む とかありません )

幾度の空恐ろしい体験を
その底知れぬ恐怖を
じーっと味わい
耐え
手放し
委ねる。

完全に委ねきる。

これを何度も繰り返しながら
川を渡りきるのですよ。

それは
智慧が満ちた者なら耐えられ
乗り越えられるのです。

真我がしっかり支えてくれますから。

でも智慧が満ちていない人は
真我のサポートがないので
その空恐ろしい体験に耐えきれない。

だから空恐ろしい体験だけを抱えて
此岸に引き返してしまうことになる。

戻ってきて
そこでの絶望や虚無の体験を
世間に撒き散らす。

そうやって
スピの人たちに恐怖心を植えつけている。

「川を渡るのなんてやめた方がいいよ~」
「覚醒なんて目指さなくてもいいんだよ~」
「悟りに至れば廃人同然になるんだよ~」

これらは自我の足止めトラップなのに
信者たちはまんまとそう洗脳されてしまう。

そんなもん、
幻想を見てきただけなのに。

幻想なだけなのに、
その自分の幻想体験を鵜呑みにし
幻想に振り回されているスピの人がホント多すぎる。

( 彼岸を渡るときの詳細は私は記事には書きません。
それを知ると模倣して疑似体験する人が出てくるので。
ほとんどの人は知らないでしょうが、
スピ界には模倣の疑似体験してる人がうじゃうじゃいるんですよ )

『自我の消失』

それがどれほどに酷烈なことか、
今のアナタがたには
絶対に想像できないでしょう。

でも
智慧が満ちたなら
恐れることはありません。