自分軸「人は皆……」

 

「人は皆……」

 

何だと思う?

 

いろいろと思い浮かぶだろうけど、
今回取り上げるお題目は

「人は皆 アブノーマル」

です。

 

どんな人も自分の内に
誰にも絶対に言えないことって
1つや2つはあるよね

 

「どんな人もノーマル」より
「どんな人もアブノーマル」の方が
しっくりくると私は思っている

 

だいたい「普通・ノーマル」って?

誰のどんな基準なんだろうね?

 

私たちって、
「自分のノーマルの基準に沿わない人」を
批判したり攻撃したりしたくなるものなんだよね

 

昨今のスピ界隈で攻撃の対象としてよく出てくるのが
「子宮系」や「ご自愛系」や「設定変更系?」の
教祖さんや信者さんたち

 

この系統のスピって
批判攻撃している人たちから見たら
アブノーマル(異端、フツーじゃない)なんだろうね

だから批判攻撃したくなるんでしょ

 

あのね、

自分の内に秘めて隠しているアブノーマルを自分で受け入れることができたらね、

「アブノーマルな人たち」のことは
気にならなくなるものなんだよね

 

つまり、
スピ界でのいわゆるマイノリティーな人たちを批判攻撃したくなる人って、
自分の内のアブノーマルを認め、受け入れられていない人
ってことなのね

 

自分の内のアブノーマルを真正面から見据えることもやっていないのに
「自分基準でのアブノーマルな人」を批判攻撃するって、

私から見たら
自分勝手な人やな〜〜〜
なわけ

 

他者を攻撃したくなる人は
自分の内のアブノーマルを探して
じーっくりと観てみたらいいんだよ

 

自分のアブノーマルを認め受け入れることができたら、
“上っ面だけでものわかりのいい人間を演じること” は
しなくてもよくなるから

 

心からとても開放的に
他者のことをあたたかく見ていられるようになるから

 

 

日本で「アブノーマル (abnormal) 」といえば
「変態」とか「異常者」とかのイメージが強いんじゃないかな

「アブノーマル=普通じゃない」

確かにそうなのだけど、

「アブ (ab) 」というのは「分離・離脱」という意味なんだって

だから「アブノーマル」というのは
「普通から離れた・分離した」という意味なのね

 

一般的な考えで言うと、
私たちの「普通・ノーマル」って
人によって基準が様々だと思われているよね

 

実は「ノーマル」って
「自分軸」と切り離して語ることができないものなんだよね

 

別ブログに自分軸についてはちょこっと書いたけど、
今回もう少し詳しく説明するね

 

「自分軸」って、
ほとんどのスピオタクさんは
“自分の中にある軸” のことだと思っているよね

 

漠然と、
“自分には自分だけの軸がある” と、
自分独特のものだと、
みんな思っているんじゃないかな

 

そしてその自分の「自分軸」を大事にするべく、
あれこれと日々スピにいそしんでいるのではないかな

 

例えば違和感とかザワザワする状態などは
自分軸からズレてるサインなのだと分かってきたりと、
自分の中にある「自分軸」の存在を疑う人はいないよね

 

実はね、

すべての人間が
みんな同じ軸を共有しているんだよ

全人類、
軸はみんな同じなの

 

ただ、

すべての人に共通する軸から
離れている距離が
人それぞれに違っている

その違いがあるだけなのね

 

だから私は「自分軸」と言うよりも
「 universe axis (全人類軸) 」
という言い方がしっくりくるとひそかに思っている

 

でもすでに「自分軸」という言葉はその人個人所有の独特のもの
というイメージはスピ界に定着してしまっているからね

 

自分の中の軸を大事にするという気持ちはもちろんあっていいのだけど、

「自分軸」というスピワードって実は
他者の軸・アブノーマルを認めないなどの分離を招き、
真のワンネスから遠ざけようとする
自我の巧妙なトラップなんだよね

 

universe axis (全人類軸) 」

この「universe」の語源は
uni「1つの」+ verse「向きを変える、回転する」

universe  (宇宙、全世界、全人類)  」とはラテン語で

「回転して一つになったもの」
「すべてが一箇所に集まるもの」

という意味なんだそう

 

ここから観える私の「ユニバース」のイメージは渦(うず)、スパイラル

 

渦って
外側からグルグル渦を巻いていって、
最後は中央の1つの点にまとまるよね

外側にいるほど軸から離れている

内側に寄るほど軸に近づいているイメージ

 

すべての人は、
すべての人類に通じる全人類軸の外側の離れたところから
少しずつ自分なりに軸の「・」に近づいていく

というプロセスの途上にあるということ

 

そしてこの「・」が全人類共通の「ノーマル」なのよ

 

私たちは自分の人生の中でそのプロセスをやっているのね

だから、
他者が何か人と違う(アブノーマルな)ことをやっていても、
その人は全人類軸から見て
他の人より離れたところにいるだけ
ってこと

 

どんな人も
みんなと同じ軸に近づくプロセスの途上にいる

 

そうは見えなかったとしても、
それはその人のそういうプログラムなだけなの

 

私たちは「普通じゃない」人たちを責めるより、
自分が少しでも自分軸 (全人類軸) に近づくことをやればいい

他者のことが気になっている時間を
自分の覚醒のために使えばいいの

 

もしどうしても「普通じゃない」人のことが
気になったり許せなかったり理解できないと思うなら、
その自分の気持ちを内観すればいいのよ

気になる、許せない、理解できない他者は、
自分の自我&エゴあぶり出しツールになってくれているだけなのだから

 

例えば今の世の中、
殺人はほとんどの人がいけないことだと認識しているよね

多くの人が「殺人はやってはいけないこと」という“全人類共通の軸”に近づいている

でも殺人も辞さないと考えたりしている人もいるし、
悪いことと分かっていても殺人をやってしまうような人は
他の人よりも軸から遠くに離れてしまっているということ

さらに殺人を何とも思わないという人は
もっと遠くの渦の外側にいるということ

 

軸のゼロポイントに近づくほど人類の意識は進化進歩しているといえる

でも意識の進化だけではゼロポイント(悟り)にまで行くことはない

なぜなら自我&エゴが邪魔をするから

なので自分の自我&エゴを昇華させていかなくては
ゼロポイントの悟りにまで至ることはできないのね

 

つまり進化や進歩と覚醒(真我覚醒)は別モノということ

 

マジョリティであればなんとなく安心という人もいる

私たちのバイアスとして、
マジョリティであれば自分は正しいんだと思ってしまう

でもマジョリティ(多数派・常識人)が正解なわけじゃないんだよね

 

何が正しいか、
何が正解か、

それは今のアナタがたは
自我&エゴが決めているから

 

 

私たちがアブノーマルからノーマルへ向かうプロセスとは、

内観して、
自我&エゴを1つずつ昇華させて、
真我が覚醒して
そして主客統合する

全人類軸のゼロポイント「・」が悟りの境地と呼ばれているもの

その境地が
全人類に共通する「ノーマル」なの

 

今の私たちは
全員が
「普通(ノーマル)から離れた・分離した」
アブノーマルの状態にある

 

「ノーマルになる」というのは
『本当の自分に還る』
ということでもあるんだよ