ノンデュアリティについて

 

今までほとんど興味なかったんだけど、
今回『ノンデュアリティ』についてリサーチしてみた

 

すでにけっこうな数のノンデュアリティ実践者、体験者がいるようで、
あちこちのブログで懇切丁寧にノンデュアリティを説明してくれているね

 

ノンデュアリティは現代のスピリチュアル業界でほぼ定説化し、
もう認知されてると言えるくらいだね

 

ここからは私自身の体験と知覚を基に、ノンデュアリティについて思うことを書いていくね

 

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数年前からスピ業界でもてはやされるようになったノンデュアリティ

あれね、4次元スピの体験の1つに過ぎないんだよね

 

だって、自我&エゴ野放しのままなのにさ、
ノンデュアリティの境地を実践できると勘違いしてる人ばっかだもん

 

自我&エゴをないものにできるとマジで思ってるらしいよね

 

“私” も
思考 (自我&エゴ) も
時間も
因果も、
そんなものないんだよ~と、

「私はいない」と思えるようになれたら自我&エゴなんて消えてなくなるよ~~
と思ってるんでしょ?

 

ノンデュアリティの境地をモノにできたら、

私たちの人生のあらゆる “苦” から解放されるよと言ってるんでしょ?

 

ノンデュアリティをモノにできれば失せてしまうくらいなら、
なぜたくさんの “苦” がこの世にはひしめきあっているんだろうね

 

私たちはバラエティ豊かな映画の中から、
好きなジャンルを選んで観てるだけなの?

そこにナマの生はないというの?

まぁ、そう思いたいんなら思っていたらいい

 

私から言わせたら、
スピ業界で広まっている『ノンデュアリティ』は、
その人に必要な体験をしてるだけ、
なんだよね

 

この上っ面だけのいいトコ取りで調子のいい『ノンデュアリティ』が
“スピリチュアルの究極の境地 ✧ ”
なのではない

 

『不食』や『聖者』なんかと同じで、
4次元というミラクルワンダースピリチュアル世界で、
『ノンデュアリティ』の体験をするプログラムの人がそれを体験しているだけに過ぎない

 

だからノンデュアリティやりたい人はやればいいし、
理解できない人、納得できない人は、ムリしないで関わらなければいいだけのこと

 

ノンデュアリティの看板みたいな人がいるけど、
あの人は完璧にノンデュアリティを実演しているようだね

だけど私からは魔境に囚われているレベルに見受けられる

 

“魔境” ってね、怖い漢字が使われててオドロオドロしく感じてしまうけど、
心配しなくても大丈夫

恐ろしいものじゃないからね

魔境ってね、言ってみればこのスピリチュアル世界そのもののことなんだよね

だけど、抜け出せるレベルと抜け出せないレベルがあるんだよ

自分で気づけて抜けられる浅いレベルならそこからまた進んでいくこともできるのだけど、

深すぎるとそこに固定されてしまい、
もう自分からは抜け出せない可能性もある

例えばシ〇〇ヒーリングの開発者やフワフワスピの代表格エ〇〇〇〇セラピーで有名な人なんかもそうね

宗教の熱心な信者なども、
囚われたまま抜け出せる余地がなくなると固定レベル

彼らには何を言っても聞く耳を持てない、
目だけでなく耳も閉じてしまってる、
そういうレベル

そういう人たちに限って、自分はお目目がパッチリ開いてると思い込んでいる

 

誤解しないでほしいのだけど、
決して魔境が悪いと言っているのではない

そういう人生の体験をする、という、その人のプログラムなだけ

 

つまり、
魔境に囚われた人を私たちは目にしている

そういう人を目の前に顕現している
ということね

 

魔境に囚われた、というのは大袈裟かな

4次元スピで固定終了という人生を彼らは自分でプログラムしてきているだけなのだから

 

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『人のフリ見て我がフリ直せ』

それができるうちが花

そして何事にも固執しすぎないこと

囚われすぎないように

すべての体験は通過点に過ぎないと思うべし

4次元マヤカシのノンデュアリティについて書くのはこのくらいにしとく